草創期の記憶 | ラクロス

草創期の記憶

いまでも時々、87年の事を思い出します。
一浪して早稲田に入り、アイスホッケーサークルの強烈な勧誘に逢って、体験入部状態だった時、慶応の初代メンバーが「早慶戦やろう!」と早稲田キャンパスに勧誘に来ました。狙いはアイホサークルの「夏季トレ」。
H君やO君、I君たちです。当時、慶応に「ヒロ君」という、ラクロスを日本に輸入しようと言い出した人がいて、すごーーくオシャレだったのです。
もう、なんか育ちの良さのオーラが出てて。田舎から出てきた僕には輝いて見えたものです。コカコーラのCMを見て「これは面白そうだ」と思ったのがきっかけだったという話を聞いた記憶があります。
「とにかくデモを見に来て」と言われ、カナダ大使館へ。
インドアだったのですが、ネットを張り巡らせていたので、多分普通のフィールドラクロスのデモだったのだと思います。いやぁ、衝撃でした。
絶対にやろう!と思いました。
慶応の練習にも参加して、玉川の河川敷で、はじめて日系3世のノリオ・エンドーさんに出会いました。彼はかつて、名門ジョンズ・ホプキンスのラクロスチームに所属、かの名コーチ、ボブ・スコットも認める名選手でした。
その後、広尾の超高級マンションでの、エンドーさんのホームパーティに招かれました。「早稲田が好きなんだ」というエンドーさんと直に話したのです。
その時に聞いた言葉が、僕のラクロス観を今でも支えています。

「自分は、今で言うトップガンだった。太平洋戦争で出撃したが、機上掃射で初めて殺してしまったのが、日本人の、しかも子供だった。その記憶が今でも脳裏にこびり付いて離れない。自分は、今の立場で出来る平和貢献をしたい。
日米平和はその為に最重要で、しかも企業のエゴとは無関係な、ラクロスという純粋なアマチュアスポーツで、若者同士の国際親善・相互理解を深めるという草の根運動を、何としても推進したい」のだと。涙を浮かべながら。

「Lacrosse makes friends」って、そういう事なんです。
僕には、自分のコーチするチームにさえ、国際交流の機会を作ってあげられていないのですが、いつか必ず!って思ってるんですよ。。。